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2012年5月27日 (日)

シェイプシフター

朝の通勤時や散歩の時、イヌの散歩をしている人に会うことが多い。毎日、様々な品種のイヌに出会う。考えてみると、この人間社会の中に、これ程、入り込んでいるイヌという動物というのは、どういう存在なのだろうか? 基は、1万5千年以上前に、タイリクオオカミ (Canis lupus)から派生した種で、学名を Canis lupus familiaris という。familiarisはラテン語で「家庭に属する」という意味。つまり、「ヒトの家に属するようになったオオカミ」という事。染色体数は78本。 イヌがヒトと共存するようになった理由として、次のようなことが考えられている。 ”イヌの特徴としてヒトと同じく社会性を持つ生き物であることが挙げられる。意思疎通をするための感情や表情も豊かで、褒める、認める、命令するなどの概念を持っている。ヒトに飼われているイヌは、人間の家族と自身を1つの群れの構成員と見なしていると考えられ、群れの中の上位者によく従い、その命令に忠実な行動を取る。この習性のおかげでイヌは訓練が容易で、古くからヒトに飼われてきた。”(ウィキペディアより)

ただ、「イヌ」といっても様々な形態のものがいる。これらが、同種なのは、互いに交配可能で生殖能力を持つ子孫を作るから。別名、「シェイプシフター(変身動物)」とも言われるように、小さなチワワから大きなセント・バーナードまで沢山の品種がいる。ジャパンケンネルクラブという団体が公認する犬種は331種もいるということである。遺伝子の働きとしては、どうなっているんだろう? 突然変異なのだろうか、それとも元々ある遺伝子の発現の問題なのだろうか? 哺乳動物でありながら、これ程のシェイプシフターは、他にはいないのではないだろうか。この変身ぶりも、人間社会に入り込んだ一つの理由ではないかと思う。変身することで、狩猟用、愛玩用、牧畜用、番犬など、多様な目的に利用されるようになったのではないかと思う。

こんなにも人間社会に深い関わりを持つイヌ達が、福島の原発周辺では置き去りにされてしまった。多数のイヌ達が、鎖につながれたままエサも与えられずに残されてしまった。残されたイヌ達からしたら、あの2011.3.11とはどんな日だったのだろう? また、その後の、信頼していたはずの人間達の行動をどのように見ていたのだろう? そして、どんな思いで、その後の運命を辿ったのだろう? 考えれば考えるほど、居たたまれなくなる・・・・・。

2012年5月25日 (金)

ブーイング

最近、ブーイング(booing)の光景を見る事が多いように思う。大相撲夏場所千秋楽での琴欧州の欠場。サッカーアルビレックス新潟、惨敗後のスタンド。少し前になるが、小澤征爾が水戸での公演を当日キャンセルした際の客席。 いずれも、当事者達にはそれぞれの事情があるのだろうが、お金を払って試合や公演を楽しみにしていた人々にとっては、期待を裏切られガッカリし、それが怒りに変わり、ブーイングという行為になる。期待が大きいほど、失望感が大きく大ブーイングとなる。観客達が出演者や選手に対して、不満や怒り、非難を表す行為。「プロ」の厳しさを思い知らされる光景だと思う。 プロは、人々に夢を売るのが仕事。その為には、しっかりした準備をし、技能を高め、体調を整え、当日、最高のパフォーマンスを観客に見せられるように準備しなければならない。ブーイングを受ける人々というのは、それに失敗した人々なのだろう。

ただ、所詮は一人のヒト。体調や精神状態のために、必ずしも常に最高とはいかない。そんな時は、自分の持っている引き出しを全て開けて、なんとかその時間を、観客が満足するようなパフォーマンスで締めくくらなければならない。 「プロ」とは、自身が最低の状態の時でも、観客に満足を与えられるパフォーマンスを提供できる引き出しを持った人々、のことをいうのだと思う。調子が良い時には、誰にでもできる。調子の悪い時のパフォーマンスのレベルが、プロの条件なのではないかと思う。 また、くれぐれも、自分の出来の悪さを、観客や聴衆のせいにしてはならない。「この観客達のレベルが低いから・・・・」「この聴衆達には、こんな難しい内容を理解する能力がないから・・・・」などの言い訳を聞くのは、見苦しい。こう言っている輩の存在は、醜い。「プロ」として、お金をもらう資格などない。

社会では、やる気のある若者達が、就職難で苦労している。ブーイングを受けるような方々には早々に引退願って、このような若者達にその椅子を空けて欲しいものだと思う。既得権だけで椅子が確保されている時代は終わったのかもしれない。 くれぐれも、自身がそのような愚か者にならないように努力したいと思う。

2012年5月23日 (水)

「DAYS JAPAN」

これは、先日”カディーヤ(アラビア語)”で記載した、広河隆一氏編集の月刊誌。改めて気になり、手元にあった2012.3月号「詩と写真による3.11 鎮魂歌から続く世界」を見てみた。中にバックナンバーの紹介があるが、それによると、これは2004.4月から始まった雑誌。テーマを見ると興味深いものが沢山ある。残念ながら、近辺の書店ではほとんど見かける事のない雑誌だが、もっと読まれてもよい雑誌だと思う。現代社会の問題、暗部を知らせてくれる内容。この号では、震災の被災地の写真と、複数の詩人による詩が掲載されている。特に共感する詩を、一編、掲載させて頂く。

 

”  里山汚染      酒井 力

春は山菜

秋には茸を採る

すぐ近くの山まで

それはやってきた

 

見えない

聴こえない

物音ひとつたてない

 

ふいに飛来し

この地に降りそそいだものは

やがて浸潤し

動物達の足元に潜む

不透明な死への予兆になった

 

山は嘆いている

言葉にならない怒りを

木々の葉にさざめかせ

地下に落ちる

水琴の音に沈め

 

里山は荒れるだろう

手入れも危うく

山人は踏み込めない

今となれば

 

何一つ告げないまま

里山は

未来の頁に刻印するのだ

思い上がった

人間たちに向けて

 

おまえたちは

いったい

何をしてきたのだ

と            ”

 

最後の、「おまえたちは いったい 何をしてきたのだ と」の言葉・・・、痛い。 この言葉、自然から人間への言葉でもあり、将来の人類から、現代の私たちに向けられた言葉でもあると思う。 本当に、キチンと襟を正さないと、この時代に生きた日本人は、愚か者として、笑いもの、軽蔑されるもの、になってしまう様な気がする。しっかりしましょう。自分も含めて・・・。

2012年5月21日 (月)

金子飛鳥

金子飛鳥というヴァイオリニストとフェビアン・レザ・パネというピアニストによる、『 スティル (still) 』というCDアルバムを聴いた。ゆったりとした、ヴァイオリンとピアノのduo。精神が癒され、固まりかけた心を、解放してくれるような音楽。曲を聴いていると、「オーガニック」という言葉が思い浮かぶ。大地をしっかりと踏みしめながら生活を楽しんでいる方による、丁寧な、手作りの心のこもった曲、演奏。 この方は、坂本龍一や山下洋輔、佐野元春、そして尾崎豊などの曲作りにも参加している方。実力も人間性も素晴らしい演奏家。現在は、アメリカ在住で、畑や庭造りにいそしみながら演奏活動を行っている。 ライナーノーツにある、メッセージ

”     ここにある音楽が

  あなたへの静やかなメッセージを

  どこからか運んできてくれますよう。

  自分自身の心に帰る時間へと

   つなげてくれますよう。

       金子飛鳥      ”

収録曲

1  Still    Prologue

2  Dialogue

3  A Time Like This

4  Another Eternity

5  It Takes a Long Time to Know

6  Dreaming at Taman Sari

7  Autumn's Grace

8  Coracao de Vento

9  Quietude

10 Still

この音楽、一人でものごとを考えたいとき、または、静かに本を読みたいとき、のんびりと昼寝をしたいとき、BGMとして、静かにゆったりと流れていて欲しい音楽だと思う。なんとなく、フランスの作曲家フォーレ(1845-1924)が思い浮かぶ。心の中に入ってくる、無駄な飾りのない音楽。これから色々な時に聴きたくなる音楽だと思う。

2012年5月19日 (土)

カディーヤ(アラビア語)

『いまこそ 私は原発に反対します。』 by 日本ペンクラブ編(平凡社2012.3.1発行)を読んだ。これは、日本ペンクラブに所属する52人の作家達が、原発への思いをつづった本。それぞれの視点で、「原発反対!」の思いを寄せている。こんなにも沢山の作家達が、明確な意思表明をしたことを心強く思う。「このような状況では良くない!」と思うヒトが沢山居る。今後も、声をあげ行動していって欲しい。 この本の中で、特に、広河隆一氏の「大災害と表現者」という文が印象に残った。この方は、「DAYS JAPAN」という月刊誌を編集しておられるフォトジャーナリスト。中東問題やチェルノブイリの問題などにも深く関わっておられる。この方が、惨状の現場の撮影をされる時に、心にとめておられる言葉が”カディーヤ”。これに関わる部分を引用させていただく。

”村は今では瓦礫となり、雑草に埋もれている。その痕跡がほとんど残らない場所もある。そうした時私はアラビア語のカディーヤという言葉をいつも心の中に思い起こすようにした。瓦礫にシャッターを切るとき、その瓦礫の背景、何が起こったのか、そこで営まれていた人々の生活・・・・そしてその元の村人たちが世代を変えて、今もどこかの難民キャンプで生活していることを思いながらシャッターを切れるかどうかが試されていた。”  また、

”人間には許してはいけないものがあるのだ。生命という最初のアイデンティティを踏みにじるもの、存在(existence)に敵対するもの、そうした考えを擁護するものに対しては、拒否しなければならない。膨大な数の子どもたちの体内に放射性物質を植え付けてもなお、その考えを許容する人間との対話を求めるものは誰だろう。対話を強いるものは誰だろう。その間に誰が助かるチャンスを奪われているのだろうか。  それを作家というなら、そんな作家はいらない。それを詩人というなら、そんな詩人はいらない。”

また、我々のアイデンティティのあり方として、アッパー・アイデンティティという考えを述べられている。 ”私はフォトジャーナリストだと自分を規定している。・・・。そしてそれを包み込むアッパー・アイデンティティはジャーナリストだ。・・・。ではジャーナリストのアッパー・アイデンティティは何か。それは人間だ。”

そう、職業がなんであれ立場がどうであれ、我々は、まずは「人間」として存在しなければならないと思う。強く共感する。まずは、一人の人間として物事に対処していかなければならない。自分を、狭いアイデンティティ・視野の中に限定してしまうのは、自己満足・逃げでしかないと思う。 仕事も人間関係も、結局は、「人間性」が大切なのだと思う。

このブログ、今日で、開始1年です。これまでに207件の記事を書いてきました。一つの区切りです。いつまで、続くことやら・・・・・。

2012年5月17日 (木)

「脱コモディティ化」

京都大学客員准教授 瀧本哲史氏による「4タイプ分析/あなたの仕事ぶり、ここが残念!」(プレジデント 3.18配信)という記事を読んだ。これからの仕事や生き方について参考になる記事と思われるので、備忘録として記録しておく。 記事内容の一部。

”コモディティとは本来「日用品」を指す言葉ですが、経済学では産業の発展にともない、企業間で製品に有意な差がなくなり、どの会社のどの商品を買っても同じとなった状況をそう呼びます。日本企業の多くが価格競争で疲弊し、利益がどんどん減っているのもコモディティ化が大きな要因です。そして深刻なのは、商品だけでなく、働く人材にもコモディティ化の潮流が押し寄せていることです。”  ”私は自著の中で、今後、プロフェッショナルとして生き残れる日本人のタイプを、4つに分類しました。 一つ目が商品に付加価値をつけて、市場に合わせて売ることができるマーケター。 次にまったく新しい商品や仕組みをつくり出すことができるイノベーター。 三つ目が起業家として事業を起こし部下を束ねるリーダー。 最後が投資家として市場に参加するインベスターです。” ” 投資先で人材採用を行うとき、面接で必ず聞く質問があります。 「いままであなたがやってきた仕事の中で、最も会社を儲けさせた仕事は何ですか。チームで取り組んだ仕事の場合、あなたがそこで果たした役割は何ですか」 これに答えられない人は基本的に採用しません。逆にきちんと結果を出してきた人は、この質問に即答できるはずです。とにかく結果を出し、自分の会社を成功させることにフォーカスしてみる。言われたことを単純にやるのではなくて、本質的に自社を成功させるためにはどうすればいいか、真剣に考えて行動することです。その結果が、自分の成長と報酬に直結します。”

私の職種は、仕事ぶりが報酬に直結する職ではないが、「仕事」としての基本は同じだと思う。良い仕事をしている方々は、それぞれの方法で、「マーケター」「イノベーター」「リーダー」的な働きをしている。ただ、多くは「コモィデティ」的な存在であるように思う。  「いままであなたがやってきた仕事の中で、最も効果のあった仕事は何ですか? チームで取り組んだ仕事の場合、あなたがそこで果たした役割は何ですか?」にキチンと答えられる人は多くないように思う。言われたことを単純にやるのみ、の方もおられるよう。本質的な思考などしない、というか、できない。 ただ、こういう方々の方が、余計なことを言わずにコモディティとして利用価値がある、と考える方々もおられるよう。このままでは、進歩などないのではないでしょうか?

2012年5月15日 (火)

金環日食2012

5/21(月)の朝、いよいよ日食が見られる。太平洋側では「金環日食」となるが、残念ながら新潟市では「金環」とはならず、「部分日食」となる。ただ、最大時には食分が0.9以上の大きな部分食が見られる。日本国内で、次に日食が見られるのは2030年、18年後。今回の日食は、貴重な機会。ぜひ、見たい。前回、2009年の時は、薄曇りの中、部分日食を見ることが出来た。目に優しく意外と見やすかった。今回は、どうなるのだろう。新潟市では、AM 6:26開始、7:38最大、9:09終了の予定。通勤、通学時間と重なる。当日は、通勤・通学途中に、空を見上げる人が多くなるだろう。くれぐれも、運転には気をつけて。また、直接、太陽を見るのは危険。日食メガネなどを手に入れて見てもらいたい。

私自身は、当日、動物達がどのような行動をとるのかということに興味がある。この時間帯、普段は、元気にさえずっている鳥たちがどのような行動をとるのだろうか。「宏観亭見聞録」というブログに、インドの国立公園での、日食中の動物の行動の記録がある。興味深いので、引用させて頂く。

”マドヤ・パラデシュ州にある Van Vihar 国立公園では皆既日食中の動物の行動の変化が専門家によって記録された。「・・・皆既日食によって空が暗くなると、あるものは非常に動きが鈍くなる一方で、別の種は異常に活発になった」と国立公園の園長は電話インタビューに答えた。 同国立公園は、専門家による 23のチームを結成し、日食中のさまざまな動物の行動を調査した。太陽が完全に月の背後に隠れると、トラ、ライオン、パンサーがねぐらにもどるのを専門家たちは目撃した。それらの動物は非常に動作が緩慢になった。一方、クマのような夜行性の動物は、いつになく活発に行動した。シカなどの草食性の動物は異なる反応を示した。草食性の動物は、一般的に日中は別々に離れて草を食むものだが、突然集まって群を作り、日食の間はじっと立ちつくしていた。夜明けからさえずっていた鳥類は、(日食がピークにさしかかる)午前 6時 20分から 6時 30分の間、沈黙した。クジャクとタゲリは例外だった。若い動物は顕著な違いを見せた。ふだんは早朝に巣穴を出て、日暮れにまたそこへもどるという生活パターンをとるものが多いが、皆既日食になると彼らは大急ぎで巣穴にもどり、そこに籠もってしまった。・・・・・・”(「宏観亭見聞録」http://macroanomaly.blogspot.jp/2009/07/blog-post_31.html より)

動物達も、普段とは異なる自然の異変に気付いて、不安になり、とまどうのだろう。ヒトにとっては、科学の営みにより原因が分かっているので、客観的に捉えられる現象だが、原因のわからない彼らにとっては、驚異なる異変。ただ、そう言っているヒトだって、ホンの数百年前までは、動物達と同じ感覚だったのだろう。自然の驚異におののき、祈るしかなかった。 そう考えると、「科学」という営みの重要性を思い知らされる。ただ、原発のようにヒトの力を「過信」し、コントロール不能のものに手を出してはいけないが・・・・・。

2012年5月13日 (日)

GARMIN Oregon 450

最近購入したスグレモノのGPSについて。GPSとは、(Global Positioning System):全地球測位システムの略。人工衛星からの電波によって、現在位置、標高、移動した軌跡などを確認・記録できる機器。携帯の電波の届く範囲では、iPhoneがGPSとして使えるが、電波の届かない山の中などでは使えない。これまでの山歩きでは、紙の地図からほぼ直感的に、「大体、この辺だろう」的に位置確認をしてきた。踏み跡のある夏山では、特に問題はなかった。ただ、春山などの雪上での歩きなどでは、夏山と違って、自分なりのルートファインディングが必要となり、もう少し、確実な判断が出来るようになりたいと思っていた。 少し前に知人から「これ、いいですよ~」とGARMIN Oregon 450というGPSを見せてもらい、自分でも欲しくてたまらなくなり、Amazonで、早速購入してしまった。地形図の入った日本語版は10万円近くするが、英語版は本体32800円。それに別売の、東日本地形図12800円を入れ、締めて4.5万円ほど。本体の表示などは、コンピュータに接続すれば、付属のソフトで日本語化できる。なんで、日本語版は、こんなに高いのでしょうか? 日本人は「金持ち!」と、足下を見られているのか?

このGPS、普段の散歩や、五頭、角田登山などで使用してみたが、まだまだ、使いこなすには時間がかかりそう。持っている機能の1/10も使えていないと思う。ただ、データをカシミールに読み込み、地図上の軌跡や、歩いた断面図などは表示できるようになった。自分が、こんな処をウロウロしていたんだな、と改めて確認することが出来て興味深い。これから、もっと使いこなせるようになりたいと思う。

ところで、このブログ、作成し始めてから、もうすぐ1年(2011.5/19~)になる。これまで、約200程の話題について書いてきたが、考えてみれば、これも自分の生活のGPSのようなものかも、と思える。1年間、ウロウロしてきた軌跡の記録のように思える。そういう面で、意味のあるものかも知れない。 これからもウロウロする様子を記録していきたいと思う。

2012年5月11日 (金)

青いユリ

Yahooニュースに次のような記事が載っていた。

”今度は「青いユリ」-。サントリーホールディングス(HD)と新潟県は9日、遺伝子組み換え技術を使い、「青いユリ」の開発に世界で初めて成功したと発表した。商品化は2018年以降となる見通し。 ユリには青色色素「デルフィニジン」を作るために必要な酵素の遺伝子がないため、これまで青い花は存在しなかった。 新潟県はユリの栽培が盛んで、県農業総合研究所が2006年から、サントリーHD傘下のサントリービジネスエキスパートと「青いユリ」の共同研究に着手。ピンク色のユリに、キキョウの一種であるカンパニュラの青色遺伝子を投入し、デルフィニジンを含む「青いユリ」の開発に成功した。”(産経新聞 2012.5.9配信)

これまでに、サントリーは、青いバラやカーネーションも作成している。「青いバラ blue rose」は「あり得ないもの」を意味する言葉であった。それを遺伝子組み換え技術により可能にしてしまった。進化の過程で、自然が作成しなかったものを人が作成してしまった。このような人為的なものには、少々、違和感を感じる。 青いバラが出始めた頃、上野の科学博物館で青いバラを見たが、何とも言えない不思議な感じがした。ガラスのケースに入って、”貴重品”として扱われていた。ユリの花言葉は、”ユリ全般…威厳・純潔・無垢。 日本のユリ…あなたのは偽れない。 ”だそうだが、何となく、純潔・無垢? 偽れない? と思ってしまう。考えすぎだろうか。 自然の中に咲いているユリは、そのものが華やかで美しい。白いヤマユリやオレンジ色のクルマユリ、コオニユリ、ニッコウキスゲ、ヤブカンゾウ、ピンク色のヒメサユリなど。以前、一人で飯豊の山中を歩いているとき、ガスで霞んだ登山道脇にヒメサユリのピンク色が浮かびあがる幻想的な景色を見たことがある。疲れが、そして一人歩きの不安感が癒された。また、尾瀬などに行けば、あたり一面のニッコウキスゲ畑の中を歩くことができる。

”青いユリ”にも、珍しさ、そして生け花などでの配色のバリエーションの拡がり、などの利点があるのだろう。これにより栽培農家が潤い、利用者の心の癒しになるのなら反対する必要はない。大いに栽培するべきと思う。ただ、もう少し、人の手の入っていない自然の中の草花の美しさにも目を向けてもらえたらと思う。そうすれば、名前の知らない小さな草花は”雑草”、というような雑な乱暴な考えをする人々が減るのではないかと思う。いや、減って欲しい。

2012年5月 9日 (水)

『進化しすぎた脳』

先日書いた『高校生の勉強法』と同じ著者による、 『進化しすぎた脳』 by 池谷裕二(朝日出版社 2004.10.25発行)という本を読んだ。副題は、「中高校生と語る[大脳生理学]の最前線」。 現役の脳生理学者が8人の中高生相手に「脳」について語った本。本棚に積んであったのを、引っ張り出して読んでみたが、表紙の書評にあるように「ぐんぐん引き込まれていきます。」通りだった。この方は、分かり易く人に読ませる文が上手い。 印象的な部分を抜き書きしてみる。

「何が重要かというと、人が成長していくときに、脳そのものよりも、脳が乗る体の構造とその環境が重要なんだね。・・・、脳というのは・・・、過剰に進化してしまった、と言えるのではないか。・・・、それゆえに、全能力は使いこなされていない、というのが正解なんだね。能力のリミッターは脳でなく身体というわけだ。」

「世界を脳が見ているというよりは、脳が(人間に固有な特定の)世界をつくりあげている、といった方が僕は正しいとおもうわけだ。」

「・・・あえて日本語で言えば「覚醒感覚」ってやつだ。感覚としてそんな気持ちになるだけであって、その本体は無意識、あるいはコントロールできないもの。・・・音楽を聴いて、すごく美しいと思ったり、悲しい気分になったり、・・・、そういう生々しい感覚のことを「クオリア」と言うんだ。」

「「意識」の典型が「言葉」。まさしく典型なんだ。言葉は表現を選択できる。短期記憶(ワーキングメモリ)もある。・・・。それから可塑性がある。」

「まずは無意識で神経が活動し始めて、その無意識の神経活動が手の運動を促して「ボタンを押す」という行動を生み出すとともに、その一方でクオリア、つまり「押そう」という意識や感覚を脳に生み出しているってわけだ。」

「扁桃体は大脳皮質のコーチ」

「記憶があいまいであるということは応用という観点から重要なポイント。人間の脳では記憶はほかの動物に例を見ないほどあいまいでいいかげんなんだけど、それこそが人間の臨機応変な適応力の源にもなっているわけだ。」

「みんな勉強してて、なかなか覚えられないな、と苦労することがあるかもしれないけれども、それはこの脳の作用の裏返しなんだよね。しょうがないんだ。ものごとの裏にひそんでいるルールを確実に抽出して学習するためには、学習スピードが遅いことが必須条件なんだ。そして、繰り返し勉強することもまた必要なんだね。」

「・・・、記憶があいまいだから・・・、イマジネーション(想像)もそうだけれど、新しいものをクリエイト(創造)するのも、・・・できるんだよね。」

私たちは、自分の「脳」の持っている能力のホンの一部しか使っていない。その能力を開発するのは身体の活動や経験。 また、学習に苦労するのは当たり前。あいまいな記憶しか持てないから、<想像>も<創造>もできる。ヒトが他の動物より優れているのはこの点。 さまざまな全身を用いた活動を積極的に行い、全体的な脳力を高めていくことが重要だと思った。

2012年5月 7日 (月)

第2回新潟クラシックストリート

ラ・フォル・ジュルネ新潟2012の関連イベント、「第2回新潟クラシックストリート」を観てきた。音楽文化会館~新潟市美術館~だいしホールを自転車で回った。青空の下、信濃川やすらぎ堤の道も快適で、音楽はもちろん、新潟市そのものを楽しめた。遠くには、残雪の飯豊なども見え、春らしい清々しい一日だった。

音楽文化会館では、勤務校のコーラス部と新潟交響楽団の演奏およびオーケストラ解説を聴いた。コーラス部は久々に観たが、昨年の3年生が抜け新1年生が入り、代替わり、新チーム造りの途中、と思った。これから夏に向けて、更に、レベルアップしていくだろう。 新潟交響楽団、初めて観たが、音楽を楽しんでいる集団、と思った。プロとは違う、こういう方向性もあり、なのだろう。 新潟市美術館では、貝津摩理さんのピアノを聴いた。留学先だった、というロシアの風景が思い浮かぶような演奏だった。小さな子がチョロチョロしていて、気になった。保護者の方、マナーしっかり! と思った。 だいしホールでは、トリオ・ベルガルモ(庄司・渋谷・石井)、加藤姉妹、渡邉・牧野・斉藤トリオ、畠山正成さん、の演奏を聴いた。いずれも、レベルの高い演奏だったと思う。しっかりしたベースをもたれた方々の演奏だった。特に、トリオ・ベルガルモ。容姿も見目麗しく、夏にはCDも発売されるという、プロ集団だと思った。庄司さんの、少々緊張気味のMC、演奏とのアンバランスさが好ましかった。また、渡邉・牧野・斉藤トリオ。落ち着いた、しっかりした考えをもった知性的な集団だと思った。この2つのような、タイプの違うグループの演奏を続けて聴くことができ、本当に楽しかった。私自身は、特に、チェロの渋谷さん、牧野さんが格好よく見えた。いつかは、あんな風に弾けるようにようになれたら・・・、と思った。 

僅か1000円の通しチケットで、充実の1日だった。新潟にも、これだけ素晴らしい演奏者の方々が居るのに、なぜ、今までこのような企画がなかったのだろう?と思った。最初に始められた方に、敬意を表する。せっかくの企画、今後さらに発展させて欲しい。年1回などと言わず、何回でもこのような場を作って欲しいものである。古町地区の活性化と絡めて、さらに発展して欲しい。 よい1日でした。

2012年5月 5日 (土)

audio-technica ATH-AD2000

audio-technica ATH-AD2000 というオープン・エアー型のヘッドホンを入手した。定価84000円のところを、ハードオフで約3万円で手に入れた。中古品ではあるが、程度は申し分ない。audio-technica社のオープンエアー型の最高機種。 最近、深夜・早朝に音楽を聴くことが多く、よいヘッドホンを欲しいと思っていた。たまたま、ハードオフに行ってショーケースを覗いてみたら、他のものに混じって何気なく置かれていた。表示の定価と販売価格の差が何となく気になり、店員さんに試聴させてもらい、そのナチュラルさと細やかさにびっくりしてしまった。早速、iPhoneで情報収集してみると、ネット上での最低販売価格4.5万以上。レビューも褒め言葉たっぷり。思わず、その場ですぐに購入してしまった。

早速、家に帰って、シベリウスとアジカンのCDを聴いてみたが、これまでとは違う世界を覗いたような気がした。例えていうと、これまでは肉眼で観察していたものを、光学顕微鏡で覗いて見たときのような感じであった。低音から高音までバランス良くリアルな音が聞こえ、さらに、解像度がこれまでとは比較にならない(これまでがひどすぎたのかもしれないが)。 これまでは、何かゴニョゴニョ鳴ってるな、と思っていた音までが、くっきりすっきりと聞こえる。臨場感たっぷり。CDの持っている情報を、これまでは1しか聞いていなかった処を、10まで引き出したような気がした。

これまで、オーディオには殆ど興味がなく、「音はそれなりに聞こえればいいよ」と思っていたが、甘かった!やはり、いいものはいい。改めて勉強になりました。これまで集めた音源を、このヘッドホンで改めて聴き直すという楽しみができた。果たして、どんな音が入っているのだろう。 ホントは、生活のいたるところにこのような事があるのだろうな、と思う。一歩踏み込めば、もともっとおもしろい世界が沢山あるのではないかと思った。 良い買い物でした。

2012年5月 3日 (木)

『高校生の勉強法』

『最新脳科学が教える 高校生の勉強法』 by 池谷裕二(東進ブックス 2002.4.1)を改めて読んだ。10年ほど前の本で、「最新」と言うにはやや古いが、今でも通用する内容が多いと思うので備忘録として記録しておく。私自身は、10年前に読み、共感できる部分が多かったので、その後の学習指導の基本として参考にしている。最近、この様なことも知らずの、思い込みだけの無意味な指導に遭遇することが多く、辟易する。もう一度、自分自身への確認の意味で、重要と思われる部分を一部記録しておく。( )は、私自身の補足。

「現代脳科学の成果によれば、小・中学生までの脳は丸暗記が得意で、・・・。ところが、高校生になったあたりからは、丸暗記よりも論理だった記憶能力が発達してきます。つまり、ものごとをしっかり理解して、その理屈を覚えるという能力です。」

「効率的な勉強方法を見い出すためには、まずは脳のルールをしっかりと理解することです。」

「人間の脳には、長期記憶と短期記憶がある・・・。長期記憶の場所は「大脳皮質」・・。」 (短期記憶の場所は「海馬」。海馬に入った記憶は、すぐに失われる。受験に必要な知識は、海馬の短期記憶を大脳皮質の長期記憶に移し替える必要有り。その為に必要なのは「復習」と「眠ること」)

「勉強は復習重視・・・。 予習:学習:復習の比率は 0.5:1:2 くらいがちょうどよいのです。」

「もっとも効率的な復習プランは、学習した翌日に1回目、その1週間後に2回目、2回目の復習から2週間後に3回目、3回目の復習から1ヶ月後に4回目」 (それ以上は不要。私自身は、より実行しやすいように、学習したその日にノートの見直し1回目、その週末に見直し2回目、定期考査前に3回目の復習と指導している)

「復習効果は、あくまでも同じ対象に対して現れる」(したがって、参考書などを変えてしまうと、以前の学習は無意味になってしまう) 「参考書選びのコツは、第一印象で決めること」

「人はたった一晩でも膨大な夢を見ます。それらはすべて海馬の情報や、大脳皮質の記憶が夢の中で再現されているのです。・・・。したがって、寝ないということは、海馬に情報を整理し選択する猶予を与えないということになります。・・。整理できないような情報は、即座に廃棄されてしまいます。・・。寝ることは、覚えたことをしっかりと保つための大切な行為なのです。」

「童心こそ成績向上の栄養素」「興味をもっているものごとは復習回数が少なくても覚えられる」 (内容に、「ヘェ~! ホー、そうか! ホントに?」などの好奇心をもって学習すると効果がある)

「もし皆さんが「つまらない」という言葉を口にすることがあるとすれば、それは「私は無知です」と自ら暴露していることになります。」

「スモール・ステップ&パーフェクト・マスターが最善・最短なのです。」

「失敗したら後悔ではなく反省をしよう」

「まずは得意科目を伸ばそう」「ある分野の理解の仕方を覚えると、ほかの分野に対する理解の仕方までが上達するのです。」 (不得意科目の克服より、得意科目を伸ばす方が効果的)

「学習は勉強する時間の長さが重要なのではありません。大切なことは勉強の仕方です。効率よく勉強して成果をあげ、余った時間はほかのことに使いましょう。遊び、趣味、自己研鑽、なんでもいいです。うまく時間を使って、今の時期の皆さんにしかできない、彩りのある学生生活を送ってほしいと切に願っています。」

  ランプがまだ燃えているうちに、人生を楽しみたまえ、しぼまないうちにバラの花を摘みたまえ

                   スイスの詩人 ウステリ       

他者に、効果のない無意味なことを、借り物の権力で押しつけたり、無自覚に巻き込んだりするのは罪悪である。そのことを自覚できない人には、つける薬がない・・・・・。

2012年5月 1日 (火)

五頭山

連休前半、部活関係で毎日、山・山・山である。新潟市では、ラフォルジュルネが行われているが、とりあえずはお預け。天候にも恵まれ、充実した山登りを楽しんでいる。初日と最終日は、角田山周辺であったが、中日は、久々の五頭山であった。村杉のドングリの森から入り、三の峰、五の峰、赤安山、青少年自然の家到着というコースで歩いた。この山は、新潟市の東方にあり、阿賀野川より北側に位置する山。新潟市から車で1時間ほどの、ハイキングに手頃な山。今回は、登り口はやや開いたブナなどの新緑、6合目あたりでは、雪解け直後の新緑と、イワウチワ・ショウジョウバカマなどの花々、それより上は、残雪の春山であった。ブナの新緑の中、雪原の上を気ままに歩くのは、本当に楽しい。普段は、夏道限定の歩きしかできないが、この季節は、どこでも自由である。普段、出会えないような視点からの風景も楽しむことが出来る。また、雪原の上を渡ってくる風が気持ちいい。春山歩き、一度知ったら、止められませんね。

また、三の峰や五の峰から見る景色も素晴らしい。西側には、新潟平野や新潟市、日本海、佐渡などが一望である。残念ながら春霞の中ではあったが、展望を楽しむことが出来た。また、反対側には、まだ、真っ白な飯豊山脈が見える。昨年の夏、あそこの上を縦走したのが懐かしい。 このような風景を見ていると、卒業・修了した新潟大学の学生歌を思い出す。よい歌で、いまだに時折、口ずさむことがある。歌詞を備忘録として、記録しておく。

「新潟大学  学生歌」

中村 千栄子 作詞    箕作 秋吉  作曲   1954.12.15

みはるかす越の山なみ
悠久の時を刻みて
脈々と大らかにあり
頂きの雪の白きは
つどい寄る心を潔(きよ)め
永遠(とこしえ)の真理(まこと)求むる
輝ける眼(まなこ)育(はぐく)む

かすみ立つ佐渡が島やま
古えのあわれを籠めて
揺々(ようよう)と鎮まりてあり
岩まきて砕くる波は
たゆみなく真砂(まさご)磨きて
誠実の友を求むる
くもりなき叡知養う

黄金なすひろき稲はら
粒々の辛苦をひめて
黙々と健かにあり
豊かなる生命(いのち)の糧は
まどかなる国原にこそ
学び舎を守る誓いは
真なる平和を築く

この詩が、ゆったりとした気品のある曲で演奏される。戦後にできた「駅弁大学」などと揶揄されることもあるが、この詩の精神を体現するような誇り高い活動をして欲しいと思う。

2012年4月29日 (日)

カワズ合戦

車で通勤する時、体調管理のため途中で車を降り、近くの松林を3km程歩くことにしている。今の時期、新緑が萌え始め、ウグイスのさえずりなども聞こえ、清々しい時間を過ごすことが出来る。雨の日など、緑がさらに鮮やかになる。散歩のために車を停める所の近くに小学校があり、その校門前の側溝に、先日、今年もアズマヒキガエルが産卵をしていた。ここ数年、毎年、この時期になるとここで採卵し、授業などで見せている。普段は、松林の中でバラバラに生活しているカエル達が、この時期になると、この小さな水たまりに集まってきて産卵をする。今年は、採卵のために訪れたところ、メスにオスが抱接していているところも観察できた。いわゆる「カワズ合戦」の最中。ただし、合戦といっても、数匹の小規模なもの。

以前、栃木県の山の中の温泉の近くで、大規模な「カワズ合戦」に遭遇したことがある。道路沿いの池に向かって、周囲の山から、カエル達が大集合をしている最中だった。何百、何千ものカエル達が集まって、周辺には、異様な空気が漂っていた。子孫を残すための本能に従った、カエル達の一途な行動。目的を達するためには、危険な車道の横断もなんのその、という風であった。また、彼らの発するフェロモンのようなものが周辺に漂っているようで、異様な雰囲気になっていた。まさに『春の祭典』。ストラヴィンスキー作曲のこの作品、初演時には、劇場が大混乱になったそうだが、まさに、このカワズ合戦もそのように見えた。子孫を残すための大饗宴だった。

この地域、原発事故のため、比較的高い放射能汚染を受けてしまった処。今年の春はどうなるのだろうか? 以前と同じような光景が見られるのだろうか? タフな自然界のこと、きっと変わらない光景を見せてくれるのだろうと思う。人間の愚かな行為に関係なく、淡々と、これまで繰り返してきた営みを行って欲しいと思う。

2012年4月27日 (金)

生物の多様性と共通性

今年度から始まった新しい科目、「生物基礎」の導入部分に、「生物の多様性と共通性」という項目がある。今年度、どのように行ったかを記録しておく。 まず、多様性と共通性の例として、ヒト・イヌ・昆虫を取り上げた。 ヒト(Homo sapience)といっても肌の色が黒・黄・白などの多様性がある。同「種」なのは、これらの個体間では交配可能であり、生殖能力を持つ子孫を作れるから。 では、ヒトの共通性は? 言葉を話す、哺乳類(獣=毛もの)、直立二足歩行など。 イヌには、最小はチワワから、大きなものではセントバーナードまで多様なものが居る。ただし、これらは同種のイヌ(Canis lupus familiaris)。全て交配可能で、生殖能力を持つ雑種を作れる。 次に昆虫。モルフォチョウとバイオリンムシの標本を見せ、まずは形態の多様性を実感させる。では、「昆虫」とは何か? 頭・胸・腹部を持ち、胸部に6本の脚を持つもの。この基本的な形態をもつ原種が、様々な環境に生息することにより適応放散し、進化の結果、このような多様性を獲得した。したがって、共通性と多様性は「進化」の結果。時間をかけての「進化」ということを意識しながら生物を見ることが重要、と言うことを話した。

佐渡で、中国より借り受け、増殖させ、放鳥したトキが、初めて自然界でのふ化に成功した。佐渡で、自然状態でのトキのふ化は36年ぶりだそうである。元々の日本産のトキは絶滅してしまった。果たして、この放鳥トキは「日本のトキ」と言っていいのかどうか、疑問も残る。DNA・遺伝子的に見れば、中国産のトキだろう。ただ、考えてみれば日本産も中国産のトキも、元々は同一の起源をもつものだろう。これらが、過去に中国と日本に分かれ棲み、隔離・環境への適応という事から、若干の差異が生じたかもしれない。ただ、交配可能な同種。これから、日本の自然界で自然増殖し、環境に適応し生息していければ、「日本産」のトキと考えてもよいのではないかと思う。

早く、自然のトキ達が、冬の白鳥達のように、新潟平野の空を自由に飛び回る姿を見たいと願う。そのためには、この豊かな大地を大切にし、放射能などで、決して汚染させてはならないと思う。

2012年4月25日 (水)

『山でクマに会う方法』

『山でクマに会う方法』 by米田一彦(山と渓谷社 1996.10.10発行)を読んだ。折しも、秋田八幡平クマ牧場でヒグマが脱走し、従業員の方々が被害に遭われた。ご冥福を祈る。ただ、報道を見るかぎりでは、雪捨てのために運動場に雪を投げ入れ脱走経路を作ってしまったように思える。また、経営困難のためかやせ細ったヒグマの写真も報道されていた。空腹のために気が立っていたのかもしれない。いずれにしても不幸な事だと思う。この牧場、私自身も訪れたことがある。めったに見ることのない、ツキノワグマやヒグマの様子を見ることの出来る施設だったが、廃止になってしまうのだろうか。

私自身、時折山に登るが、残念ながらというか幸運にもというか、山でクマに遭遇したことはない。先日の巻機山でも木の幹に古い爪痕を見たが、出会ったことはない。通常の山登りをしている限りにおいては、出会うことは滅多にないと思う。ただ、何度か山道に獣の臭いをかいだことはある。きっと、クマの方で気付いて、先に道をあけてくれたのかもしれない。

この本は、30年以上もクマを追って、年50回以上も野生のクマに接触しているという方の書いた本。観察するクマ一頭一頭に名前をつけ、テレメトリー法などでクマの継続観察をし、対策を考えておられる。机上の空論でない、現場に直結した活動をしておられる方の書いた本。ためになった。ご本人もクマに襲われかかりクマ撃退スプレーで逃れた経験も持たれている。 「あとがき」にこの様に書かれいる。

”私の見たクマはカワイイぬいぐるみではなかったし、顔をひきつらせた邪悪な生き物でもなかった。クマはクマであり、クマでしかない。 クマは理解可能な動物だ。しかし、それには理解しようとする心があなたに必要だ。あなたがもしクマを怖いと思うなら、それなら心配ない。遠くから見ているだけにすればよいし、避けて通ればよい。クマよりあなたのほうが融通のきく文明人ではないか。”

アイヌは、イオマンテという儀式で、殺したヒグマの魂(カムイ)を送るという。また、マタギ達も無用な殺生はしないという。元々、ヒトと他の野生動物達は、それぞれの領分を守って共存していた。その野生動物達の領域にヒトが入り込み、勝手なことをするために不幸な事故が起こるのだろう。 ヒトはもう少し謙虚になり、自分も自然の一員でしかないということを再認識しなければならないのでは?と思う。 自分自身が、それを忘れないために山登りを続けているのかもしれない。

2012年4月23日 (月)

アジカン と シベリウス

アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION) と フィンランドの作曲家J.シベリウス。一方はロック、もう一方はクラシック。全く違うように思える。 ただ、私の中では、全く違和感なく両方を聴くことができる。たまたま、両方を続けて聴いてみたら、共通点がいくつもあるように思えた。ビックリした。荒唐無稽な考えかも知れないが、思ったことを記録しておく。 アジカンの「君繋ファイブエム」と、シベリウスの「交響曲3番」を聴いての共通点を挙げると

1 速いテンポで前へ前へと引っ張っていく疾走感・躍動感

2 周囲の空気感を表すような音

3 美しく力強い旋律

4 ”生”をイメージさせるような音楽      など

最近、20~30年ほど前のロックの有名バンドのアルバムをいくつか聴いたが、残念ながら「古い!」という感想しか持てなかった。再結成し、来日して演奏活動を行っているようなバンドでもそうである。アジカンを聴きすぎたせいだろうか? あまりにもテンポが遅く、くすんだ印象しか持てなかった。昔、名曲と言われ、一世を風靡した曲も聴いたが、全く興味を持てなかった。途中で聴くのを止めてしまった。ファンの方には申し訳ないが、魅力がない。やはり、こういった音楽は、ある限定された時代の空気の中でしか通用しない音楽だと思う。21世紀の現代には通用しない。 一方、100年ほど前に活動していたシベリウス(1865ー1957)の曲には、そのような古さを感じない。現在聴いても、新鮮な新しい音楽だと思う。時代に影響されない幅広さと深さを持った音楽だと思う。残念ながら、今までのロックではかなわないと思った。 なぜなんでしょう? この違いをもっと客観的に説明するには、まだまだ知識が足りません。いつか、説明できるようになりたいものです。

さて、アジカンの曲はどうなるんでしょうか? 20年後、30年後、どんな印象になるのでしょうか? やはり、「古い!」と思われる曲になってしまうのでしょうか? 私にとっては、シベリウスと共通点が多いということは、シベリウスの曲のようにいつまでも新鮮な音楽でいて欲しいと思います。30年後もアジカンを聴いていられたらと思います。生きていられたら、ですが・・・・・。

2012年4月21日 (土)

JiLL-Decoy association

JiLL-Decoy association というグループの「Lovely」というアルバムを聴いた。手作りのアコースティックな音や空気感が感じられる、心地よい新鮮な音楽。印象に残る音楽なので記録しておく。 このグループについて。

”JiLL-Decoy association(ジルデコイ・アソシエーション)は日本のスリーピースジャズバンドである。生演奏を主体としたジャズファンクサウンドとchihiRo(Vo)のハートウォームなボーカルが魅力の3人組。ニューヨークの音楽学校でジャズを学び、ヒップホップやR&Bなど様々な音楽から影響を受けたkubota(G)が帰国後にtowada(towadaも同じくシカゴでJAZZを学ぶ)(Drs)と意気投合。同時期にchihiRoとJAZZのセッションで出会い、2002年にバンド結成。2006年ポニーキャニオンよりメジャーデビュー。”(ウィキペディアより)

ジャズバンドといいながら、フォークやロック的な音も味わえるアルバム。これは、ボーカルのchihiRoさんが、もともとロック好きのためか。 収録曲は

1 リハル

2 雲になって

3 DISLIKE

4 crazy crazy

5 グラデーション

6 今だけは

7 I say,

8 星を頼りに

の8曲。 全体的に、若い女性のラブ・バラード。 私自身は、3 DISLIKE が新鮮でおもしろい。歌詞の一部

”  ・・・・・・・

 ココロ キリリ イタタって

 ぶつかったなら 手をつなごう 嫌味も笑えるよ

 ニヤリ クスリ アハハって

 思い描いたら出来るのさ 今日こそは笑い合いたいよ君と

 君がいなけりゃ 楽しいのにね

 正直言うと そう思っていたんだ

 ・・・・・・・  ”

なんとも複雑なココロを表した詩。 前向きさと、怖さを秘めた詩。 ぜひ、一度、ライブを聴いてみたいと思う。新潟での予定は、しばらくなさそう、残念。

2012年4月19日 (木)

最初の「生物」授業

今年度最初の「生物」授業。この1年、どのように学んでいくかの大切な導入。今年、どのように行ったかを備忘録として記録しておく。 まずは、簡単な自己紹介とシラバスの説明。ノートの取り方、提出物、評価、進度などについて説明をする。 その後、この授業で学んで欲しいことを話す。

学んで欲しいことは二つ。「当たり前に思っていることの中に、実は不思議さがある」と「生物を好きになって欲しい」という事。 一つ目の例として、目と脳について簡単な実験をする。 目について ①二眼の理由は?→視野の広さ・遠近感 ②目の前に存在するもの全てが見えているのか?→盲点の存在 ③見えるとは?→錐体細胞の働き(補色)。 次に、脳について ④自分の脳の働きは大丈夫?→スリップ現象(「お」の字を、なるべく速く書くと何が起こる?) ⑤短期記憶・長期記憶と脳の働きについて→夢や復習の意義(復習は、その日、週末、テスト前の3回)。 二つ目の例として、私自身の好きな生物の紹介。プラナリアとミジンコ。目立たないが、こんなに面白い生物たちが、身近に居る、という事の紹介。

次に、「生物」と「非生物」の違い、「生物」の特徴について、ツクシ(スギナ胞子茎と栄養茎の実物準備)とボールペン、ヒトとボールペンの比較で考えさせ、答えてもらう。ヒントは「時間」。1週間後、1ヶ月後、1年後、それぞれどのようになっているか? 違いは4点。 ①成長と死。エネルギーや物質の出入り(代謝) ②子孫を増やす(自己複製) ③基本構造は細胞 ④刺激に反応と、体内を一定に保つ(恒常性) 

これらの内容を、1~2時間で行い導入とする。基本は、「考えること」、「当たり前と思わないこと」。 「何故? どうして? どうなっているの? ヘェ~、そうかぁ!」という感性を持つこと。 授業は生き物。これからの1年をかけて、教師と生徒が対話をしながら一緒に創り・育てていくもの、ということを体感してもらうという事。 今年の授業はどうなるのでしょうか? 不安と期待の4月です。

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